「母様!」
しんりゅうの住まう、雲の御殿。
「…なんだ?」
未だ僅かに夜明け前、微睡んでいたしんりゅうことアキバは愛娘の呼ぶ声にうつらと目を開く。
「下界には2月14日に意中の男性に『ちょこれぃと』なるものを贈る風習があるのですか!?」
「………そういういらん知識を一体何処から…」
りゅーへーは昨晩の夢の中で、兄上と呼び慕う相手にチョコレートを贈ろうと奮闘する下界の少女の様子を垣間見たのだ。
最近、不思議とこの機械仕掛けの少女の夢を良く見るのだが、その所以など知る由もないし、兎にも角にも重要なのはそこではない。
「私もらぐっちょ様にちょこれぃとを贈りたいです!」
続くその言葉を嫌な予感とともに想像してはいたが、案の定な展開に朝も早くからこめかみがズキリと痛む。
「………仕方ない。下界に行くぞ。準備をしなさい」しゅるりととぐろを巻くと、アキバの長大な身体は夢幻のごとく金色の長髪をゆったりと流すオーガの仮姿へと転じる。
誰に似てか、こう、と決めたら娘は頑固なのだ。
やりたいようにやらせるしかあるまい。
火のいきを吐き出す勢いで大きなため息をつくと、久々にとる変わり身、おかしな所が無いか、自身と愛娘りゅーへーの姿をぐるりと入念に確かめるアキバであった。
「………まことに遺憾である」
言葉の通り不機嫌を隠しもしない電子音声が槍から鳴り響く。
原型のないほどカスタムされた改造たけやりへい、SBシリーズの一体であるフタバは、Exteの練習にも使われる歌姫テルルの自宅兼私設スタジオ、そこのキッチン内で、トレードマークの漆黒と紺色の魔装にスライダークを模したメットまで完全武装し、その上から借り受けた薄ピンクのエプロンをまとっていた。
「ケラウノス、そういうの今いいから!」
エプロン姿のフタバは先ほど不満を漏らした意志ある槍ケラウノスを構え、慎重に一角の獅子を模したその刃先をガラスボウル内の水面へ挿し入れる。
やがて赤熱化した刀身が程々に湯を沸かす。
「53.4、適温である」
「良し!」
ケラウノスを抜き取り素早く背に戻すと、普段使いもしない、ケラウノスを投擲する際の照準システムまで初めて起動して、慎重にお湯の入ったボウルの上にもう一つのボウルを重ねる。
中に詰まったチョコレートの欠片たちが、見る間に輪郭を崩れさせていく。
続く