「………どげんかせんといかん!」
山奥で一人雄叫びをあげたところで、何がどうなることもなし。
とはいえじにーには、それくらいしか出来なかった。
暇を見つけては足繁く通い、柱や壁をピカピカに磨き上げ、畳も干して、障子も貼り替え…そうして美しくなったたぬきち、もとい刑部邸は、しかしぱっと見で判るほどに、思い切り傾いていたのだ。
たらいと雑巾、箒にちりとりで解決しないとなると、もはや手に余る。
とりあえず山を下り、お抱えの大工さんでもいないものかと、親友のいなりを頼れば、シジマなる狼藉者に門扉を吹き飛ばされた時に世話になったとかで、トンガリ頭の御仁を紹介され、今に至る。
「………おぉ…」
何処ぞの爆弾工作員になったつもりは無いが、根こそぎ吹っ飛ばして建て直した方が早い、易い、巧いという直感を、魔法建築工房『OZ』の大棟梁ロマンはぐっと飲み込んだ。
それで済むなら、呼ばれちゃあいない。
「…ん~………だいぶやられてんなぁ…」
一目で覚悟はしていたが、畳を踏んだ感触でやはり床を支える根太、大引は全て交換だなと確信し、ロマンは脳内でそろばんを弾く。
そのままあちこちに触れ、時には木槌で少しつつくように状態を見、縁の下にまで潜り込むこと小一時間。
「…ここ、もとはアンタん家じゃねぇんだろ?」
髪にまとわりつく蜘蛛の巣をはらいながらじにーに向き合ったロマンの表情は渋い。
「んっ、ええ、まあ…」
「いくらで買ったか知らねぇが、立地も不便だし…他所を考えた方が、いいんじゃねぇか?」
修繕の見込みは頭の中で立てた。
しかし、夢と願望、それらと、現実とコストを折衷するのが職人というものである。
この家は、ほぼほぼ死んでいる。
ロマンは、職人として告げるべき率直な意見をまず述べたのだ。
直せない。
なまじ綺麗になったからこそ、あらためてこの古民家の窮状を目の当たりにしたじにーは、そういう可能性も覚悟をしていた。
それでも、例えどんなに無理をおして、それが魔界に垂らされた一本の蜘蛛の糸のようなか細い希望だとしても、縋れるものなら縋りたい。
「…ここはさ」
「ん?」
「もう会えないけど…大切なダチが、帰る場所なんだよね」
そっと壁に触れれば、自然とじにーの視線に熱がこもる。
八方手を尽くし、やはり直せないならばせめて、倒壊してしまうまではこの手で…
「それだけ聞けりゃ、充分が過ぎるわな」
「…?」
どうしてこう、オレっちのところには、侠気のある上客ばかりがやってくるんだか。
ここで逃げたら、ドカンと掲げた看板が泣くってもんだ。
ロマンは職人冥利に金槌を握った腕をぶんと回す。
「誰が直せねぇとまで言ったよ?任せな、バシッと仕上げてやるぜ!!」
時として、採算も労力も度外視してでも、もてる技術と知識のすべてを賭して受けるべきと思える仕事が舞い込むことがある。
…まあ、そういう仕事を受け過ぎるものだから、OZの経理担当はよく白い目をむいているわけだが、これは、職人として逃げるわけにはいかない仕事なのだ。
かくして大規模修繕の契約をとりつけ、後日あらためて自作の『レプリカ加工ロボ・大工道具』を引き連れて現れたのは、見積もり時と同じくロマンたった一人。
「日の出てるうちに、畳仕舞えるまで済ませちまわねぇと」
自らも冒険者の端くれとはいえ、大工仕事の助けになれるとは到底思えずハラハラするじにーを尻目に、ロマンはあっという間に畳を引っ剥がし、ノコギリエイソードを巧みに操って床板も取り払うと、予想の通り散々にシロぐんたいアリの餌食となった床下が姿を見せる。
「…ふぅ!ちょっくら一息入れるわ!」
ここまでがざっと僅かに小一時間。
じにーは自らの心配が全くの杞憂に終わった事に安堵するとともに、一流職人の仕事の早さに舌を巻く。
「…あ、これ良かったら」
縁側に腰掛け、汗を拭うロマンに、じにーはバスケットを差し出す。
「お!サンキュ!!」
中に詰まるは、昨晩リーネと作った握り飯である。
おにぎりと呼ばないのは、二人共オーソドックスな三角形を目指したのだが、大工の腹を満たすに足る分量に思い悩んだ結果、膨れ上がった米の塊はついぞ綺麗な形をなせず、真ん丸と仕上がったからである。
「ん~っ、塩強め、助かる~」
何から何まで目分量、一口で感じる程に塩が濃い。
とはいえ、通常、塩といえばメラゾ釜で海水を蒸発させて作るのに対して、握り飯に用いたのはレーンの村近海の海藻に染みた塩水から作られる藻塩である。
じにーが得物とするピンクパールに近い色に染まったその塩が、リーネのお気に入り。
塩にまとわった海藻の滋味が塩辛さを和らげ、甘くすら感じる程だ。
「あ、こっからの作業なんだが…」
わしわしと握り飯を喰らいながら、今後の説明に入るロマンであった。