「さぁて、やっていきますかぁ」
掘り出し物の鉄鍋を傍らに、じにーは刑部邸のワンルームの一画に設けた流し台に立ち、腕をまくる。
育てる、と形容されるように、鉄鍋は継続したメンテナンスの手間ひまがかかるアイテムである。
差し当たって焦げ付きや錆の防止の為、じっくりと表面に油を馴染ませてやる必要がある。
まずは別の小鍋で沸かしたお湯でしっかりと鉄鍋全体を洗う。
次に、拭いきれない水分を、火にかける事で完全に飛ばさなければならない。
「うっ………」
じにーは恐る恐る、囲炉裏の自在鉤に鉄鍋を引っ掛けた。
代打指名を受けたいなりからのクレーム、もとい改修要望により、自在鉤の真ん中で存在感を存分に発揮していたとつげきうおの造形は、匠の手により何とも可愛らしいモーモンに変更されたのだが、鉤から鍋を外すとまさか大口を開けて威嚇の表情に切り替わる巧妙なギミックが隠されていようとは、よもやよもやである。
ともあれ、鍋を吊り下げた事で満足したように穏やかな顔となる横木のモーモン像。
びっくりどっきりギミックは兎も角として、とつげきうおにしてもそうだが、毛の質感まで感じるような超精巧な造形は感嘆の他無い。
鉄鍋の返却を受けて微笑んですら見えるモーモンを眺めること2、3分、すっかり水分ははらわれた。
炭を全量、一旦横にずらして、鉄鍋に軽量カップの半分以上、波々たくわえた油を注ぎ入れる。
炭の半分を鍋下に戻し、弱火にかけたら再びモーモンと見つめ合うこと3分。
この時間が、鍋の表面に油の膜を形成する要である。
ミトンを装着、再び牙を剥くモーモン像に苦笑いを浮かべつつ鍋を外して、蓄えられた油をポットに移す。背中にモーモン像の熱い視線を感じつつ、流し台の上で鉄鍋に残る油を染み込ませるように布巾でしっかりと拭き取れば、工程終了である。
作業を終えて、一段と愛着の湧いた鉄鍋は、油膜の働き以上に輝いて見えた。
「…ふぅむ…そうだなぁ…」
早速ではあるが、準備が整ったのであれば使いたくなるのがさがである。
愛車に跨り、ふらりカミハルムイまで。
「………お!?」
既に時は夕暮れが近付くなか、しかしてこういうタイミングの市こそ、掘り出し物が見つかる場合が多い。かくして、記念すべき鉄鍋へ投入する最初の食材と無事めぐり逢ったじにーであった。
「ふんふんふ~ん」
鼻歌交じりに、良く洗った葱の根元を切り落とす。
よく肥えた立派な葱だ。
シンプルに滋味を活かすに限る。
親指よりも少し短いくらいの長さの斜め切りで揃えていく。
葱と合わせるは鴨肉。
『鴨が葱を背負って来る』の言葉通り、葱と隣合わせで売られていた胸肉を薄すぎず厚すぎずスライスする。
独特の臭みもまぁ、牛や豚に比べての特色ではあるのだが、流しに斜め置いたまな板の上でさっと湯引き、合わせる葱の風味を損なわぬようひと手間挟んだ。
鴨肉はそれ自体の脂が多い。
炒める油も鴨肉から滲み出るものに任せればさらに風味も格別であるが、それにはまだ鍋肌が若い。
こびりついてしまっては元も子もなし、再び空の鉄鍋に油をたっぷり垂らして3分熱し、しかる後に油を拭き取る『油返し』を行ってから、あらためて小さじで油を引いて、いよいよ鉄鍋に葱を並べる。
うっすら焦げ目がついてきたら、葱を裏返し。
両面がきつね色を僅かに踏み抜く適度に仕上がる頃には、油の側からも葱の香りがふわりと立ち始める。
ここからは時間との勝負だ。
鴨肉は火を通しすぎると途端に硬くなる。
満を持して鴨肉を投入、葱の風味が溶け込んだ油に馴染ませる。
既に湯引きでほのかに熱が通っている、さっと適量の塩胡椒を回しかけたら、中まで熱が通るタイミングを見極めて、取り皿の上へ。
指を揃えるように葱を並べ、布団をかけてやるように鴨肉を整えれば、鴨葱の完成である。
「か~~~ッ、たまらん!」
絶妙な火加減でしっかりと柔らかさを残すことに成功した鴨肉で葱を巻くようにし、誰が見ているわけでもない、大口を開けて一口に放り込む。
葱と鴨の旨味に時折ピリリと顔を出す胡椒、口の中いっぱいにひろがる相性抜群の三重奏に、醤油を足さなかった自らの判断を内心褒め称える。
惜しむらくは酒の用意がないことであるが、今回は素朴な味付け、舌がアルコールの辛味に染まらぬほうが楽しめるというものだ。
しめやかな夜を告げる梟の声を聴きながら、鉄鍋の初陣を愉しむ宴は今しばらく続くのであった。
続く