戴物のマグロの柵、キングサイズ1本分から切り出した丸々ともなれば、食べ盛りを抱えるいなり家でも手に余る。
大半を一旦冷凍保存し、今日までベストなコンディションを維持しつつ、薄く切り大輪の花のように並べた鉄火丼、酒粕から作った香り高く甘みの強い赤酢の酢飯で握り寿司、カツオにならって藁焼きでタタキにしてみたりと、様々な手段を用いありがたく皆の胃袋へ移し、いよいよもって冷凍焼けの一歩手前に至った中トロの柵を一つ残すのみとなっていた。
マグロの腹なかにあたる部位、くど過ぎない適度な脂のりと赤身の味わいの両方を堪能できる贅沢な部位であるが、このコンディションでは生食は厳しい。
どうしたものかと悩んでいたオスシのもとにタイムリーにやってきたのは、相棒のじにーであった。
港町レンドアを拠点とする『モードの巨人』リリィアンヌのもと、デザイナーのオスシと専属モデルのじにーはタッグを組み、並み居るライバル達と日々、美を競い合っているのだ。
長姉いなりと食客のかげろうが巻き込まれた『夜行石』を巡るクエストの後、じにーはカミハルムイ山中の古民家を譲り受け、仕事以外でオスシのもとにふらっと顔を出す頻度も高くなった。
「いやぁ、安くてねぇ。買いすぎちゃったんだよね~」
その小脇に抱えられるは、昨晩じにーが鴨葱で美味しくいただいた太ましい葱の残りである。
まとめれば大砲と見紛うほどの本数での販売であった為、一部を御裾分けに現れたというわけだ。
「そういうことなら有り難く頂戴します。あ、じにーさんも夕食、食べて行きますよね?」
「おっ、いいの!?」
無論、それを期待していた訳では無いが、外は良い塩梅に暮れなずんでいる。
「もちろん!」
「御馳走になります!」
働かざるもの食うべからず、じにーは古民家暮らしですっかり板についた竈の扱いを披露し米を炊く傍ら、いなり家の末妹ヤマと、雑談程度に軽くファッションのアドバイスなど、話の花を咲かせる。
エルトナ様式の和装が多いヤマであるが、たまには気分転換、姉オスシに倣ったストリートなファッションにも興味が湧いたらしい。
そうこうするうちに、オスシの担う鍋の方から、甘い蠱惑的な香りが漂ってきた。
生食は厳しいとはいえ、客に振る舞うには充分なマグロ、折角であれば、じにーから頂いた葱を合わせぬ手はない。
ベースは昆布出汁、醤油とアルコールを飛ばした味醂で味を整え、薪のように揃えて切った葱の表面をさっと炭火で炙って香味を引き出してから鍋に投入する。
中トロは火を通し縮むことを考慮し、刺し身よりも少し大きめの短冊切り、葱が醤油の朱みをその身にしっかり宿したところでそっと鍋に落とす。
臭み消しに味のバランスを損なわぬ程度の刻んだ生姜をぱらり。
蕩けるような食感は残したい、中トロの育ち具合と、脂が汁に溶け出し旨味が高まるギリギリのバランスを見極める。
果たして鍋が調和に至ったのは、稽古に励んでいたかげろうがちょうど汗を流して現れたタイミングであった。
「お、じにー、来てたのか」
香りに誘われたのだろう、やや着崩し気味な浴衣をまとい、黒髪はまだ水に濡れて艶やかに光を反射する。
「かげろう様!髪まだ乾いてないですよ!?」
まさしく飛びかかるようにやってきたいなりの持つバスタオルで頭をまかれるかげろうの姿を見て、いつだったか、いなりが妹が増えたみたいだと愚痴をこぼしていたのを思い出し、じにーの口元が緩む。
そりゃあ、かげろうが僅か一週間屋敷に姿を見せなかっただけで、あれだけいなりが取り乱す訳である。
かげろうが居住まいを整える間に、すっかり夕食の準備は整った。
「なるほど、葱鮪(ネギマ)ね」
葱とマグロ、なるほどこれもまた焼き鳥と響きを等しくネギマである。
炊きたての白米に、副菜は菜の花のおひたし。
「ありがと~」
オスシによそってもらい、まずは自ら持ち込んだ葱から一口。
噛みしめればよく煮込まれた葱の芯が、液体と呼んで差し支えなくとろりと溢れ出す。
ベースの鍋つゆのみならず、マグロの旨味がしっかり染み込んだ葱は大変に美味であった。
「ん~、おいひ~ぃ!」
身体に比例して口も大きいのがオーガの特権、中トロも葱と合わせて頬張れば、ヤマの口内で暴力的な脂身のコクが爆発する。
「これは良いな!何とも酒がすすみそうだ!」
「…とっくり一本までですよ」
かげろうに釘を刺すいなりもまた、魚と野菜のマリアージュに頬を緩める。
鍋いっぱいの中トロと葱は瞬く間に姿を消し、一同はおかわりした白米に削り節と葱鮪の汁を回しかけ、最後の一滴まで堪能するのであった。
続く