眼の前の獲物を追いながら、サンプル587は困惑の最中にあった。
自らが偽物と知らぬ哀れなマスタージェルミの複製体に命じられた、グランドラゴーンの脊椎の回収。
加工された後のおうごんのうでわしか知らぬサンプル587なれど、神々しいあの存在感はしっかりと記憶している。
近くにある。
それは間違いない。
しかし、どうしても見つからない。
サンプル587がグランドラゴーンの脊椎を欲するのは、単に命令されたからではない。
サンプル587は数少ない、マスタージェルミ本人の手による、今なお混じり気のない創造物だ。
マスタージェルミの遺言を果たすため、レイダメテスの欠片を埋め込む改造を受けてメモリーを消失した他のナンバーズとは異なり、『本来の目的』を知る一握りなのである。
しかしながらその性質故に、レイダメテスの破片とも適合せず、活躍の場はこれまで巡って来なかった。
ただの血に似た液体にしか見えぬこの身なれど、自らを失ってでも役割を果たす他の皆と比して、これまで何百年と己の不甲斐無さに涙を流してきた。
グランドラゴーンの脊椎は、500年越しの皆の悲願、その最後のピースなのだ。
この大役を、何としても成し遂げる。
それ故に、使命感から視野の狭くなっていたサンプル587は、予期せぬ唐突な反撃に反応が遅れた。
(ナニカヲ…ナゲタ?…ナンダ…?)
怒りをのせたユクによる投擲の勢いもさることながら、まさか仲間を投げるなどという非道に出るとは思いもしない。
サンプル587が直撃コースで飛来するケルビンを、受け止めるでなく身をよじって回避する判断をしたのは、果たしてケルビンの想定通りではなかったが、実に好都合。
すれ違いざまに突き出した人差し指で、マーニャの体表を覆うサンプル587のごくごく一部をすくい取り、そのままゴロゴロと広間の対岸、ちょうど先に投げ飛ばされたメタルソウラのもとまで転がるように着地する。
「大丈夫!?」
「問題無い、上出来だ。褒めてやる、魚女」
「だからその呼び方…はぁ、まあ、いいや…」
メンダコがのっかっているかの如く、千切り取られたサンプル587の一部がケルビンの指先でうぞうぞと蠢いている様が遠目でもしっかりと確認できる。
「メタルソウラ、休憩は終わりだ、食い止めろ」
何をされたのかようやく把握し、自らの一部を取り戻さんとケルビンめがけ駆け出す竜の巨体の前に、頭が逆向きのままのメタルソウラが再び立ち塞がる。
このあと一体どうしようというのか。
固唾を呑んでユクとミネアが見守るなか、ケルビンはあろうことかぱくりとサンプル587の一部を口に放り込んでしまった。
「うぇ…っ…!?」
ユクもミネアも予想だにしなかったケルビンの行動、あまりの気色の悪さに顔をしかめる。
「静かにしろ、気が散る」
ケルビンはまるで高級な葡萄酒をテイスティングするかのようにしばらく口の中で転がすと、ゴクンと飲み込んでしまった。
「うむ、やはりな。鼻をくすぐったカビの臭い…黒カビこぞうの生息域は確か…ふむ、ふむ…そうなると………しかし、それはともかくとして…」
毛先を人差し指で弄りながら何やらブツブツとつぶやき、しかる後にケルビンはカッと目を見開く。
「クッソ不味い…!!オェェェ………ッ…!!」
薄暗い室内に、2つ目の虹がかかった。
「「でしょうね!?」」
ユクとミネアのツッコミがハモる。
逆にその、美味しいと言われても困ってしまうが、なんとも緊張感を奪われる光景に再び瞠目する二人であった。
続く