「どこできっても かわりないだんめん ふれるとつたわる ふかいなしめりけ これはもしや ふるさとのつち!?」
ずっきんこを中心として座布団に正座で並び座る三人のきんこ星人の脳裏に、カッと閃きが走る。
「いいえただの羊羹です」
如何に茶の席とはいえ、わびとさび、寛容の心をふるまうは今ではない。
じにーはばっさり斬り捨てた。
アズランに居を構える老舗和菓子店虎屋の羊羹といえば、そうそうお目にかかれぬ高級品である。
その肌は、芸術品の域に達した漆器の艶に似る。
そして、刃物と呼ぶには頼りない竹の菓子切を用いたにも関わらず、段差なく鏡面のように仕上がった断面は、均一に小豆と寒天が混じり合い、しっかりとした密度をもっていることを物語る。
ずっきんこが遥かなる故郷の面影をそこに見たとて、やむなしなのかもしれない。
「………うん、確かに。これで完済ね」
じにーときんこ星人の茶番劇を尻目に、リーネはずっきんこから受け取ったゴールドを数え終えてモノクルを外した。
流石はリーネの指導ありきというべきか、はたまた、ルシナ村近海の豊かな漁場のおかげあってか、ずっきんこの船がじにーの古民家に落着してから僅か二月で、茅葺き屋根の修繕費を稼ぐことに成功したのだ。
ずっきんこらによるアブダクション、もとい漁によって地元漁師の収益に影響が出ていないことを祈るのみである。
とまあ、詮無き心配はさておき、今日はたまたま高級な茶請けが手に入ったこともあり、最後の集金を兼ね、せっかくなのでずっきんこたちの労をねぎらおうという席なのであった。
じにーが愛用する鉄鍋で沸かすと、水分中に含まれるミネラルが鍋肌に吸着し取り除かれ、お湯が軟水化する。
さらにはその硬度がちょうど茶葉の成分抽出に適しており、旨みと渋みのバランスがとれて、美味しいお茶に仕上がるのだ。
各地の茶葉の蒐集と、それぞれに合う茶請けの探求がもっぱら最近のじにーとリーネの休日の過ごし方となっている。
お店のおすすめである8分、およそ2.4センチの厚みにカットされた羊羹がずっきんこたちの皿から消えるのを待って、じにーがうやうやしく3人に茶を給する。
今日用意したお茶は『濃茶』である。
抹茶4グラムに、ぴたり80度まで冷ましたお湯を40ミリリットル。
泡立てず、撫でるように茶筅で混ぜる行程を練るという。
こうして、コクを強くはらみながらもミルキーな抹茶が仕上がる。
3人一糸乱れず、左手にお茶碗をのせ、右手は添えるように。
やがて時計回りに2度回してから、ゆっくりと持ち上げて………ず~び~~~っと一気に飲み干した。
「「「けっこうな うでまえで!!」」」
上品といえど未体験の苦味に唇を戦慄かせながらも、きっちりと一礼で締める。
その言葉は適切にみえて、しかし絶妙に外してはいるが、先の所作を含め、全くの偶然に出てくるものでもない。
「羊羹は知らなかったみたいだけど、何処で知識を仕入れてきたんだろ…」
じにーもリーネも流石にそこまでは知る由もないが、湯を沸かし茶を点て振る舞う文化、『茶湯』の起源は遥かヤマカミヌが片時、平穏な時を刻んでいた頃まで遡るという。
今でこそ、苦味が強いお茶と合わせるは菓子がスタンダードとなっているが、つい百年ほど前までは塩味強めな蕪の漬物や、椎茸や山菜を味噌で炊いたものなどがお茶請けの中心であり、今の形はプクランド大陸の紅茶文化の影響を受けたものとも、まことしやかに考察されている。
ずっきんこ達が紛いなりに作法を心得ているのは、かつて『ゴフェル計画』により宙高く舞ったアストルティアの文化の種子が、いずれの星にまで辿り着いた結果………なのかもしれない。
なにはともあれ、アストルティア随一のリッチマン、リーネにしても、虎屋の羊羹は久方ぶりである。
客人に続き、じにー共々、ありがたく頂戴する。
口に運べばガツンと主張しながらも、そのまま長々と留まる無粋はせず、スッと引く甘み。
影も形もなくなったように見せかけて、続いて濃茶を含めば、舌にひっそりと隠れ忍んでいた上品な小豆の風味が顔を出し、茶の味にアクセントを添える。
その有様はちょうど穏やかな日常に飛び込んできたずっきんこ達によく似て、数奇な巡り合わせと、この先も続くであろう縁を想いながら、茶の苦味を存分に味わうじにーとリーネなのであった。
続く