「…見事…ああ、口惜しや。最後の最後に、武を愉しむことを覚えてしまうとは…」
言葉と裏腹に、その顔には、未練など欠片も含まぬ柔らかな笑みが浮かぶ。
凛は形見の槍をその場に遺して、花よ早く咲けとけしかけるような春の雨にとけ、完全に姿を消したのであった。
「右に一本、左にも一本。朱備えに身を包み、コウリン王の為に二本槍を振るった勇猛な将軍。兵法書を子守唄としていた幼少の私が、唯一心ときめかせた英雄譚だ。なにぶん読んだのが昔過ぎて、細部を思い出すのに時間がかかった」
後日、スイゼン湿原の片隅にポツリと遺る、ヤマカミヌ最後の王コウリンの墓前に、いなりとかげろうの姿があった。
「なるほど、それで彼女の名や、王国の最期を知っていたんですね」
凛の遺した2条の槍そのものはやはりタケトラに所有権が在るが、その魂の安らかなるを願って、一連の騒動のさなかに千切れた槍の飾り布を頂戴し、こうしてせめて彼女の仕えた王の墓に添えるとしたのだ。
加えて小さな花を供え、2人はしばし静かに手を合わせる。
「…彼女は、朝と言わず夜と言わず続く災厄の王との戦争の中で槍の一つを失った。そして、修繕間に合わぬまま出陣した戦場にて目の前で王を喪い、自らも命を落とした。詮無き話だが、自身が万全であったならばと、後悔は果てがなかっただろうな」
「………祀られていた槍の一つが修繕のためアズランからカミハルムイに運ばれたことが全ての始まり。槍が不揃いになったことで今際の際の無念が蘇り、残る槍をアズランから持ち出して、片割れを探しカミハルムイを彷徨った、という訳だったんですね」
「そんなところだろうな。さて…」
膝に手をつき、かげろうは立ち上がる。
「英雄との一戦、私も楽しかったぞ。盆暮れくらいは帰ってきてくれても良い。その時はまた、剣を交えよう」
事も無げにかげろうがとんでもないことを言い出すものだから、いなりはぎょっとする。
「ちょっ…!?亡霊騒ぎも、あんな紙一重の戦い見守るのも、もう2度とまっぴらごめんですよ!?………ん?もしかしてあの時………万全な状態の彼女と戦ってみたくて槍を返したんじゃないでしょうね?」
有り得る。
いや、むしろそれしか有り得ないと、答えを待たずしていなりの中でその疑念は確信へとかわる。
「…さぁて、まさかな?」
「私の目を見て話してください!」
気の早い花が揺れ、蛙の歌声が遠く響く湿原の中、かしましく言い争いながら去っていく二人の姿を、そっと見守る亡霊の姿があったとか、無かったとか。
やがて、この小さな墓の前には、かの勇者の盟友にしてナドラガンドの解放者、果たしてその実は今代の大魔王かつ天星の英雄候補であるあの白髪の少年も訪れることになるのだが、それはまだ、少し先の話である。
~完~