矢が放たれる音が折り重なり、怪鳥の声音の如く響き渡る。
迫りくる矢の濁流を前に、しかし魔王は毅然と、指先どころか眉の一つすら動かさない。
此度の魔界よりの進軍、連れる従者はただの一人なれど、彼の配下は皆、精鋭揃いなのだ。
「不届き者め。嵐よ……唸れ!!」
つむじ風にのって躍り出た少年が、矢の群れめがけて左右の掌から独楽を放つ。
独楽はたったの2つ、だがしかし相対するは、所詮雑兵の攻撃である。
それぞれにバギクロスをまとった独楽は魔力による誘導を受け、舞踏会で舞い踊る男女の如く艶やかな軌道を描き広範囲に暴風を撒き散らし、矢の尽くを払い落とす。
暴風の勢いはそれだけに留まらず、地表を撫でるように最前列のサージタウスたちを威圧し跪かせた。
これから王の言葉を賜るのだ。
相応しい礼儀作法というものがある。
「『レイダメテスの堕とし仔』たちよ!我ら太陰の一族、己の大きな咎によりて、貴公らがルシナ村に攻め入ることはゆめ見過ごせぬ。退くならよし、さもなくば…」
淡々とした口調ながら、その声はビリビリと空気を震わさんばかりに強く、強く響き渡る。
「…ここで1体残らず朽ち果てると覚悟せよ!!!」脱ぎ捨てた羽根帽子の代わりに、金髪の狭間から純粋な魔力に形作られた細く長い2本の角を冠し、光沢ある真紅の色味の外套は魔王が身にまとう理力を受けて竜の翼の如く揺らめく。
(とんでもなく場違いなんですけど…!?)
姫の如く抱き上げられ、ただただ目を白黒させていたユクであったが、この場においてイシュマリクは魔法戦士を偽装する必要も無く、顕となった一族伝統の戦鎧の冷たさがユクを現実に引き戻す。
「……じにーさんは!?」
慌てて直下を見下ろせば、ラップサンドの如く外套の先端ギリギリに包まれているじにーを確認できて、ホッと胸を撫で下ろした。
「ユク氏とのこの待遇の差よ!?不平等にもほどがあると思いませんか!?断固是正を訴え……ぶへぇ!?」
ゆるりとイシュマリクが高度を下げるにつれ、顔面から着地してクレームの言葉尻も途絶える。
とにかくまあ、無事なようで何よりだ。
「あ、ありがとうございます」
じにーの扱いとはうってかわって、慇懃にユクを地に降ろすと、礼の言葉は背で受けてイシュマリクはアルファに対峙する。
アルファにしても、サージタウスの攻撃が無為に帰すことは分かっていたはずだ。
それでも矢を放たせたのは、けして退かぬと、宣戦布告の意を示すために他ならない。
「助かったけど、こちとら泥だらけだぞコンニャロメ!」
よもや一角の魔族の長であるとまでは知る由もなかろうとも、イシュマリクもまたヤバい相手であると、じにーにも判断はできているであろう。
それでも謝罪を引き出さんと食ってかかろうとする胆力は流石という他ない。
宥めすかし押し留めていると、子犬のようにパタパタと少年が駆け寄ってくる。
「ユクさん!お怪我はありませんか?」
よもや主に不手際はないと心得ていようと、まして矢を迎撃したのは当の自分であるが、心配なものは仕方ない。
「シュナくんもありがとう。さっきの技、凄かった!成長したねぇ」
戦士三日会わざれば、というが、魔界で袖振り合った頃よりも更に腕を上げ、立派に魔王の幹部として役目を果たしているシュナの姿が喜ばしく、ユクは思わずくしゃくしゃと頭をかき撫でる。
まるで久々に再会した飼い主に子犬がじゃれつくような微笑ましい光景に、ようやくじにーの毒気も浄化された。
今はエルフのなりこそしているがシュナの正体は大暴れ狛犬、じにーの感じた印象もまあ、あながち間違いではない。
そんな戦場には似つかわしくない空気が漂う間も、イシュマリクとアルファの睨み合いは続いている。
父がイシュナーグ海底離宮に遺した文献から、邪蒼鎧デルメゼなる存在は知り及んでいる。
眼前の相手は本物では無いにせよ、まったくの張子の虎でもない。
敵の刃は、充分にこちらの命に届き得る。
(しかし無闇に仕掛けてこない。なるほど、魔博士と同じ手合いか)
力と知略を持ち合わせ、さらには卑怯卑劣も織り交ぜる。
もとより己が非力であったからこそ、力を得てもなお慎重で隙がない。
ならば強引に抉じ開けるまで、と思い立ち、それが強さを誇示するべき魔王の在り方でもあると理解しつつも、何処かその選択の裏に、あの小憎たらしいとつげきうおの姿を起想する。
(……いかんな。どうも、未だに奴に引きずられている感が拭えぬ)
自戒しつつも、緩む口元を隠しもせず、イシュマリクは長剣を抜き放つのであった。
続く