「たまには、こういうんもええもんやなぁ」
キュッポンとボトルのお茶を一口飲み込み喉を潤すと、青空の下、ピッピンコはベンチに腰掛け包みをひろげた。
早朝の清掃アルバイトで訪れたメギストリスのミソノ劇場、その裏手に位置する老舗の鮮魚店が手掛ける『スペシャルのり弁』が本日のお昼ご飯である。
スペシャルの名に恥じず、蓋を開けばのり弁たる所以の黒が見えぬほどに、種々のおかずが所狭しと豪勢に居並ぶ。
しかしおかずのボリュームに頼るは二流、見えぬところにまで拘ってこそ芸は一流、いやさらに上限を超えていくものだ。
洗練されたテーブルクロスの如く丁寧に敷き詰められた海苔の下、白米に施されたおかかの化粧は肉厚で風味豊かで、その点抜かりはない。
海苔と鰹節のハーモニーは、もはやそれだけで白米を充分に進ませるが、うっかりしてはいけない。
彼には3種の焼き魚をエスコートするという大役を担ってもらわねばならぬのだ。
夕映えのような色合いが見目美しい塩鮭に、カミハルムイ特産の白味噌である『西京味噌』で漬け込んだ銀鱈の西京焼き、そしてみりんの香り華やぐ鰤の照り焼き。
どれをとっても一人で看板をはれる花形役者が我先にと箸を誘惑する中、ひっそりと鳴りを潜めながらも、白身のフライと海老フライもまた、虎視眈々と舌への一番乗りを狙っている。
「ええい、初志貫徹や!」
迷い箸は弁当への一番の無礼、意を決して鮭に斬り込んだ。
「ん~~!」
良い塩梅という言葉は、まさにこの塩鮭の為にあるのだろう。
塩辛さの奥からまろやかな甘みが顔を覗かせ、鮭の旨みと絡み合う。
「はっ!あかんあかん、配分を考えな」
米をさらに投入したいのはやまやまだが、この小さな小さな玉手箱の中、おかずはまだまだひしめいているのだ。
牛蒡のシャキシャキ食感が堪らないきんぴらで塩鮭の余韻を断ち切ったら、西京焼きへ。
西京味噌は一般的な味噌のおよそ3倍もの麹を用いるため、甘みの強い上品な味わいが特徴だ。
噛み締めればジョワッと溢れ出す鱈の脂とその甘みがマッチして、塩鮭からの乱高下がむしろ心地良い。
こんなもの絶対に米と合うに決まっている。
箸をのばして海苔に触れた瞬間、ピッピンコは驚愕した。
「ウ…ウソやろ。こ…こんなことが、こ…こんなことが許されてええのん?」
まさかのまさかである。
弁当箱の隅に出汁巻きが控えていたから油断、いや、出汁巻きの存在が無かったとしても、誰が白米のど真ん中にハーフカットの煮卵が潜んでいるなどと深読みすることが出来ただろうか。
しかし悔やんだところで、塩鮭とともに飲み込んだ米は戻らない。
完璧なペース配分はもはや不可能、そうなれば、もうあとは傍若無人に楽しむだけである。
マヨネーズの酸味が心地良い和え物に、胡麻油の風味が効いた茄子の揚げびたし、ちょんと少量ながらこれまた白米泥棒な焼きたらこ。
煮卵を挟んで対岸の海苔の下からはおかかに代わって昆布の佃煮が白飯を彩る。
黒豆が上品に煮られているのは幸いだ。
控えめな甘さにこれ幸いと、不足する白飯のピンチヒッターを任せ、どこまでも客を飽きさせない工夫に感服しながら、一気に食べ進む。
「はぁ~~、この出汁巻きも最高……」
途中、思わぬ伏兵に泡を食わされたが、終わりよければ全て良し、〆の選択に間違いは無かった。
カステラとプリンの良い所を足して割らずに詰め込んだような出汁巻きは、もはやスイーツと呼んで過言はない。
さて、腹ごなしに辺りをぶらぶら散歩でもしようか。流石大劇場のお膝元、髪結いや呉服など、外から眺める分にも楽しそうなお店が幾つも並んでいる。
しかしこの息が苦しいほどの満腹感、とりあえずはしばし座したまま胃を落ち着かせねば。
そうして蒼天を仰いでいたピッピンコだが、ふと視線を感じて足もとに目を落とす。
「あらこんにちは。おばちゃん、ごっつぉ食べてん。ふふ、おそろいやな~」
おこぼれにあずかろうと思ったか、歩み寄ってきた鳩のポッコリ膨らんだ胸と等しく、のり弁でポンと飛び出したお腹を誇らしげに撫でるピッピンコなのであった。
~完~