「どっ……せい!」
思わず歳不相応な言葉が出るも、鞄の中身は都合7人分の貝焼きの用意である、やむを得まい。
こういう時のためにとオーダーメイドした鞄のおかげで、ジュレットからの道行きを経てなお、市場でもとめた貝類の鮮度は抜群だ。
井戸の中よりも、グランゼドーラなりに居を構えたらどうかと思うが、それもまた鞄職人のこだわりなのかもしれない。
「さぁてやっていきますかぁ!」
貝焼きは夜の予定。
当然ながら市場の朝は早く、現在の時刻はまだ昼よりも前だが、いろいろと仕込みを済ませるには頃が良い。
まずはサザエ。
客人がいなりとリーネだけであれば、気の知れた間柄だ、洗ってそのまま網にのせてしまえという所であるが、相棒のオスシやヤマちゃんに女子力の高さをアピールしておく好機であるのもまた確かである。
この日の為に買い求めた細身の小さなナイフを貝殻とフタの隙間に挿し込みくるりと繋がりを断ち、ネジを回すようにその身を引き摺り出す。
まずは蓋、次に苦味が強い貝柱まわりの袴と砂袋を切り離し、硬い嘴を内臓ごと千切りとったら塩揉みでぬめりを落とす。
崩れやすい肝はそのまま、貝柱や身の部分は箸で掴みやすい大きさにカットする。
汚れを落とし煮沸した貝殻にまず蓋を戻して器の底として、サザエの身を戻せば下拵えは完了である。
続いては大アサリ。
単純にデカいアサリ、というわけではなく、正確にはウチムラサキという。
ウェナ諸島中部のあたりではバーベキューの定番で、一度その味を知ればラインナップから外すなどとは考えられない。
大アサリの砂抜きは少々厄介で、海水に浸けておくだけでは不充分だ。
しかし有り難いことに、その貝殻はピッタリと閉じ切らず、隙間があいている。
そこからナイフで蝶番まで両断、蝶番を捻って千切れば、綺麗に左右均等に身が分かれる。
いずれ袴の裏側などを中心に、砂を洗い落とす必要がある。
ならばついでと、左右の貝柱をなぞって貝殻と身を切り離せば、洗いやすくも食べやすくもなって一石二鳥だ。
「おっと、忘れるとこだった」
焼く際に小葱を載せると、お出汁と醤油をすって良いアクセントとなるのだ。
細かく刻んで、器によけておく。
他に、味わいと価格ともに貝の王様たるアワビや、団扇のように立派なホタテ……
手順自体はいずれも簡単だが、量が量だ。
しかし何とか、目論んだ時間に終えることが出来た。貝焼き前に胃袋に何かを詰めるは愚策かもしれないが、既に飯を食わずに昼を跨いでいる。
「まあこういうの、作り手の特権よね」
どんと取り出したるは、今日の為に用意した超辛口の純米吟醸。
銘柄はかげろうのチョイスだ、当たり外れを疑う余地が無い。
勝手に先んじる訳だが、どうせ給する際には徳利にうつし燗するのだ、今あけてしまっても気付かれることはなかろう。
愛用の鉄鍋は大き過ぎる、代わりに取り出したる勝手の良い小鍋に、オマケしてもらった3つの蛤をちょうど並べ、貝殻の半分が浸かる程度まで酒と水を同割で注ぐ。
しっかりと蓋をし、強火でひと煮立ち。
カンと小気味良く、開いた貝殻がぶつかり合う音が響いたら、向きを整えもうしばし。
ここで煮過ぎてしまうと身が固くなり台無しだ、手早く鍋を火から下ろせば完成である。
漆塗りの椀のなか、朝霧のようなスープに浮かぶ、ぷっくりとした蛤の膨らみがビジュアル的にも堪らない。
「いや~、悪いね。あとは貝焼きにまわす数しか無いからさ」
誰に向けるでもなく呟くは、罪悪感の現れか、それともご馳走を独り占めする愉悦からか。
匙に掬ったプリンのように震える身を口へ運べば、蛤自身の出汁と酒、それだけとは思えぬ奥深い味わいが口いっぱいに広がる。
余韻が残るうちに煮汁をすすれば、数分で仕上がったとは思えぬ重厚な味わいにガツンとやられる。
「まてまて落ち着け」
一息に食べきってしまいたいのを必死に堪え、二つ目の蛤を飲み込んだところで、鍋に残る一つとお出汁に米を放り込む。
再度ふつふつとさせたら、このままでも味は充分に完成されているが、胡椒をひとつまみでキリッと引き締める。
大アサリの為に準備した小葱も少々拝借すれば、酒蒸しが雑炊に早変わりだ。
「ふぁ……」
煮詰まった事で旨みの密度はさらに増していて、もはや感慨ひとしおで言葉にならない。
息をする間ももどかしく、濃厚でありながら、茶を飲み干すようにするりと雑炊は胃の腑へ消えた。
網にのる時を待つばかりの残りの蛤も酒蒸しにしてしまいたい衝動に生唾を飲み込むも、頭を振って我慢して、いそいそと小鍋と椀を洗い証拠の隠滅を図るじにー。
しかしながら一時間の後、古民家いっぱいに広がる蛤出汁の残り香と白桃のように上気した頬で、たちまち皆に抜け駆けを看破されてしまったのは、言うまでもないだろう。
続く