エスコーダ商会のかかえる帆船、その甲板から縄梯子も使わずマユラは波止場に軽やかに降り立った。
「ありがとう。助かったのだわ!」
礼の言葉とともにぶんと大きく手を振り、陽気な乗組員たちに別れを告げる。
しかし甲板に彼らの姿はない。
ハンマーヘッド号の乗組員たちは皆、遥か昔に命を落としているのだ。
死霊たる己等の姿に街の皆が怯えぬよう身を潜め、そっと港を離れていく船影を見送ってから、マユラは町の北に位置する一際大きな屋敷を目指す。
そこには、マユラの大切な娘の一人が暮らしているのだ。
「……やっぱり、ここに居たのね」
屋敷の中庭、墓と呼ぶにはやや不格好な積石に寄り添うように、金髪の少女、いや、人形が腰掛けていた。「あらあら、マウリヤったら……」
少しずれてしまったリボンをそっと直し、靴についた土を払ってやってから、マユラはその隣に腰掛ける。
あるいはマキナと呼んであげた方が、彼女は喜ぶのだろうか。
その答えをマユラは知らない。
あの日あの時あの洞穴の奥で、少女マキナの亡霊と、マウリヤが何を話したのか。
それは、2人の間だけの秘密なのだ。
武者修行の旅の途中で立ち寄ったこのサンマロウの町で、仲良しになった少女マキナが拐われたのは、はや数年前の出来事であるが、マユラは今でもその時のことを鮮明に覚えている。
「……ひぃっ!ば、化け物!!」
化け物と呼ぶべき相手なら、目の前にもっと相応しい存在がぶら下がっているだろうに。
あらくれ2人はあろうことか、自ら金目的に誘拐した少女に恐怖の眼差しを向けてマユラの隣を走り抜けていく。
マキナはモンスターに壁へ叩きつけられ、心臓も止まっていたのだ。
それが造作もなく立ち上がったのだから、やむを得ぬ反応かも知れないが、あまりの無神経と身勝手さに怒髪天を衝いた。
しかしながら、彼ら小悪党に構っている暇はない。
「わたしは……化け物……?」
呆然と呟き立ち尽くすマキナと、この洞穴の主なる巨大な蜘蛛との間にマユラは立ち塞がる。
腐った果実のように歪に膨らんだ球体に骸骨の肋から上を繋いだような、奇怪な姿の妖毒虫ズオー。
マユラは、怪虫の眉間に埋まる髑髏から吹きかけられた毒霧に怯まず、手の甲で口と鼻を塞ぎ最短距離を駆け抜ける。
虚を突かれながらも迎撃に振り下ろされた鎌のような前脚、目にも止まらぬ連撃を次々と裏拳で捌ききり、ガラ空きになった胴体へ自慢の正拳を叩き込む。
ジゴデインの紫電と黒雷をまといし必殺の拳はズオーを容易く貫き、地響を立てて巨体は伏した。
これで一安心と、振り向いたマユラが目にしたものは、マキナと瓜二つの蒼白き亡霊の姿であった。
鏡合わせのように掌を重ねて見つめ合う2人、何度か言葉を交わした後、亡霊は天へと昇るようにふわりと姿を消した。
その気になれば、マユラの耳は会話を拾うことも出来ただろう。
唇の動きから、読み取ることも出来ただろう。
だが、マユラはそうはしなかった。
翌朝、『旅に出ます』との書き置きと、ベッドに大切な友達である人形を横たえて、マキナは姿を消した。しかし、ことの真相は違う。
本物のマキナは、とうの昔に遠い遠いところへ旅立っていたのだ。
以降の彼女は、不思議な力で生命を宿した人形、マウリヤが成り代わっていたのである。
そしてあの洞穴でマキナの亡霊と再会し、マウリヤの役目は、終わったのだ。
もう二度と動くことは無いはずのマウリヤであったが、1年に一度、今日この日だけ、誰も気付かぬうちにこっそりとマウリヤはこうして中庭にやってくる。
確かめる術などないが、今日はきっと、マウリヤがマキナを引き継いだ日なのだろう。
「また近々、みんなを連れてくるのだわ。今日は、お手紙で我慢してちょうだいね。まずは、るーみーの手紙からね……」
暖かな陽射しのなか、マユラは子どもたちからマウリヤに向けた手紙を一通一通読み上げる。
船旅は幼い子どもたちにはまだ負担が大きく、ごくたまにしか連れてはこれないが、マウリヤはマユラの子どもたちにも大人気なのである。
『わたしのかわりに、たくさんの友達を作ってほしい』
人形はもう動かない。
しかし、今際の際のマキナとの約束を果たしたマウリヤの表情は、こころなしか、柔らかな笑みを浮かべているように見えるのであった。
~HappyBirthday~