「落ち着きたまえマダム!」
直前、テルキは懐から取り出した小瓶の中身をどしゃどしゃと自身に振り掛ける。
突如目の前に飛び出して来た派手な姿の男に目を見開いた女性だったが、苛立っていた所に乱入された怒りから、その矛先をテルキに向ける。
「なんマダムか貴方は!部外者は黙ってるマダム!」「私の名はテルキ。ん旅の僧侶・・・だっ!」
仰々しく腕を振るい自己紹介する。香水の香りが凄まじい勢いで広がり、眼前の女性だけでなく野次馬の鼻腔を貫通する。
テルキが使用したウッディの香水は、緊張感を解し、周囲をリラックスさせるための物。しかし、一度に大量に使用したそれは、森林と言うよりジャングルと形容すべき強烈な緑の香りを爆発的に広げていた。
「この高級品の香りで落ち着きたま~え!華やかなメギストリスでその様な大声は似合いませんぞ。」
まるで湿度を帯びているかの様なテルキの言葉に、女性だけではなく周囲の野次馬までもが額に青筋を浮かばせる。
優しき木々の香りも、落ち着ける言葉も、度が過ぎてしまえば不快感が先行する。
「香水も沢山振りかければ良いってもんじゃあないマダム!」
「フゥ~ハハハハハ!特製コロンの香しさが分からんとは、まだまだですなぁマダム!」
正しく暖簾に腕押し。滅茶苦茶ながら、すっかりテルキによって場のペースは掌握されていた。
青筋を立てた女性は、真っ赤な顔で叫び立てる。
「付き合ってられないマダム!おいお前!このハデハデ香水男をけちょんけちょんにするマダム!」
野次馬の中から進み出て来たのは筋骨隆々の男。バキバキと分かりやすく拳を鳴らす姿にテルキの表情が固まる。
「ままま待ちたまえよキミィ!暴力に訴えるのはナンセンスだと思わないかねぇ!?」
「悪いが、これも仕事だからな。後、お前なら殴っても後ろめたく無い。」
拳を振り上げ駆け出す。鋭い踏み込みから、振り抜く拳が唸りを上げテルキに肉薄する。
「肉体労働は私の役目でうわぉあ!?」
叫ぶテルキ。
しかし、拳は彼の眼前で止まっていた。
テルキと男の間に割って入った新たな乱入者。彼女が握る鞘に収まった細剣が男の喉元に突き付けられ、その動きを制していたからだ。
剣の持ち主は言わずもがな。丸メガネの奥から鋭い眼光が覗くアヤタチバナだった。
「・・・れ」
「あん?」
ボソリと呟くアヤタチバナに眉を動かす男。状況が状況とは言え、不躾な態度にプライドが刺激され、眉根が浮く。
「そこに直れ・・・こんの馬鹿師匠が!!!」
「ヒィイイイイイ!?」
だが、男はまたも度肝を抜かれた。
アヤタチバナが厳しい叱声を浴びせたのは、彼女が庇った馬鹿者【テルキ】であったのだから。
「タタタ、タチバナ君!どうしてここに居るのかね!?」
「自分大好き人間の師匠が行く場所なんて簡単に見当つくよ!追ってきたら追って来たで騒ぎを起こしているし!」
突然始まった説教に、対面していた男も、荒れ狂っていた女性も、メイドの二人も揃って唖然とする。
「回復呪文だけ唱えておけば優秀なのになんで余計な事毎度言うかな!馬鹿!ホント馬鹿!何時も頭下げて回るボクの苦労も考えろぉ!」
小鹿の様に震えるテルキと身長差故見上げる形になりながらも火山から噴き上がる噴石の如く罵倒を続けるアヤタチバナ。どちらが師匠が分かったものではないそのやり取りに、周囲の空気が毒気を抜かれたかの様に緊張感が萎んで行く。
「・・・興が削がれたマダム。おいお前、帰るマダム。」
「おっと!待ちたまえよ!」
気勢を削がれ、帰ろうとした女性を急に元気になったテルキが呼び止める。
また余計な事を言って拗らせるのではと思い止めに入ろうとしたアヤタチバナだったが、それよりも早く女性に近寄り、懐から取り出した物を手渡した。
「高級コロンには及ばないが、この私が手ずから調薬した特性アロマだ。同じ買いそびれた者同士、手ぶらで帰るのもシャクだろう?」
粘度の高い声で放った言葉。
受け取り方によってはメラゾーマにドワチャカオイルを投げ込む様な行動に、アヤタチバナだけでなく、周囲の野次馬さえもが目元を覆う。
「感動に打ち震えたまえよ!ほれ!ホレ!ほぉーれべぇ!?」
「いやほんとウチのバカ師匠が何度もすまんのだ!この通り!」
開けろ開けろと顎で催促するテルキの頭を追いついたアヤタチバナが押さえ込む。
それを気にせず、女性は渡された小瓶を開き、鼻に寄せたそれを手で扇ぐ。
「・・・腹立たしいが、良い香りマダム。」
不服そうにそう呟いた女性は、懐に小瓶を仕舞い込むと再び歩き出す。拍子抜けする程のあっさりとした帰還に周囲の空気が弛緩する。
「フフフ~これにて一件落着!」
やけに自慢げなテルキの言葉に、アヤタチバナは青筋を立てた。