「タカスィ様」
「おう。」
泥沼を漕ぐ櫂の様に箸を進めている途中、クレアの一言でタカスィの目付きが明らかに変わった。
目にも止まらぬ速さでクレアがナイフを投擲する。
「んぎゅえ!?」
絞めた鶏の様な悲鳴が響く。何事かとソメイとリュウガが視線を巡らせたその先には、ナイフによってマントを床へ縫い付けられたミャジと、脱兎の如く走り出そうとするロスウィードの背中があった。
「おっと、それは筋が通らないだろ。」
だが、いつの間にかロスウィードの背後へと回り込んだタカスィがその肩を抑える。
「まさか、主催のお二人が鍋を前にして逃げる・・・等とはおっしゃいませんよね・・・?」
眼鏡の奥に見える凍土の様な目線。その口からは吹雪の様に底冷えする言葉が紡がれる。
蛇に睨まれたカエルの気持ちを知りながら、二人は逃走の不可能を悟るのだった。
「あの~クレアさん?」
「そこまでしなくても良いんじゃいないですか?」
思わず。と言った様子でリュウガとソメイが声を掛ける。二人の優しさにパッと顔を上げるミャジと、尚も俯くロスウィード。
その反応の差は、ひとえに『クレア』と言う人物を深く知っているが故にである。
「いけませんよお二人とも。大人の行動とは、それ相応の責任が伴うのですから。」
ふんわりと笑顔を浮かべながらもキッパリとクレアは二人の提案を制する。
何とも言えない顔をするソメイの一方、リュウガはその言葉に思う所があるのか、考え込む様に押し黙った。
「ケケ様。」
「は~い。準備出来てるわよ~。」
流れる様に二人の前に碗を置くケケ。
中から覗くのは濃厚そうな夕焼け色の南瓜スープ。そしてそこから此方を見上げる豆腐と魚の頭。波間から手を伸ばす桃らしき果物の破片であった。
「遠くから眺めて逃げようと思ったが・・・改めて眼前に来ると中々だなこれは・・・」
ロスウィードが呻く様に自らの碗に乗った物体を見下ろしながら呟く。余裕のあるその言葉とは裏腹に、その頬からは冷や汗が伝っていた。
「ほら、遠慮せずにグっと行け。グッと。」
先程までとは打って変わって非常に楽しげに口角を釣り上げたタカスィの言葉を耳にしながら、二人は恐る恐る箸に手を付ける。
魚の身を噛み締めると、肉汁が溢れる様にパンプキンスープの甘味が舌に襲いかかった。
『ヒャッホーイ!私が一番ですよ!』
パンプキンヘッドが付いた箒型ドルボードに乗ったソメイ(幻覚)がとても楽しそうに口の中を飛び回る
『あら、オネエさんだって負けないわよ~』
そのソメイに肉薄する様に、魚に四輪が付いた奇怪なドルボードに跨ったケケ(幻覚)が走り込む。
彼女が伴うのは濃厚な魚介出汁の旨味。それが強烈なパンチとなって二人の舌に殴り掛かる。
口内を駆け巡る味の暴力はさながら砂塵巻き上げ爆走するドルボードの如く。口の中は今灼熱のサーキットと化した。
『おっと、お二人さん、俺を忘れてもらったら困るぜ?』
ショッキングピンクのスポーツカーが突如として出現する。
南瓜のそれとは違う、果実特有の酸味を伴った甘み。タカスィの持ち込んだ桃色の閃光『プクプクピーチ』何故か普段の帽子の代わりに桃の被り物をしたタカスィ(幻覚)が、凄まじいハンドル捌きで舌上のサーキットをドリフトする。
喉“ゴール”前の直線。遂に三車が横並びになった。熾烈なデッドヒートが展開され、抜き抜かれの鍔迫り合いが加速する。
そして・・・!
二人同時に、手元の碗から、最後の一口を飲み込んだ。
「「まずい!!!」」
身も蓋も無い言葉。それも情け容赦の無い罵倒であったが、それに怒る者などこの机には居ない。
まるでフルマラソンを全力疾走したかのように息も絶え絶えな二人の様子と、何より自分達がそれを口にした事が有るからでこそ、その評価は甘んじて受け入れるしか無い。
もう一度言っておこう。この机のメンバーは、なによりも今回運が悪かった。
「ロスウィードさん、お水良ければどうぞ。」
ソメイがそう言って冷やした水を差し出す。ミャジの方にもリュウガが同様の行動をしていて、二人の人の良さに思わずミャジは涙ぐんだ程だ。
「・・・ふう。それじゃあ、一杯頂いた事だし、そろそろ次へ・・・」
ロスウィードの言葉が途中で中空に溶けて消える。
彼の碗に、クレアが並々と鍋とスープをよそっていた。
「ク、クレアちゃん・・・冗談だよね?」
先程とは別の理由でミャジの瞳に涙が浮かぶ。
そんな二人を見下ろしながら、碗を配膳し終えたクレアはたおやかに笑い告げるのだった。
「おかわりも・・・どうぞ?」
二人が再度口をつけた具材は、少し冷たく感じたのだった・・・
二杯目総評:思い出したく無いと言うロスウィードの申告の為未記入