川霧がゆらりとほどける森の奥で、
ひとりのカッパが暮らしていました。
仲間たちはみな川辺で相撲をとったり、
きゅうりを競ったりして賑やかに過ごしていましたが、そのカッパだけは少しちがいました。
背中に古びたリュートを背負い、月が丸くなる夜になると、森の奥へ歩いていくのです。
ぽろん。
最初の一音が鳴ると、木々は葉を揺らすのをやめ、
蛍は灯りを小さくして耳をすませました。
カッパの歌は、川の流れに似ていました。
強くもなく、弱くもなく、ただ静かに続いていく音。
それは昔、川で迷って泣いていた旅人を、そっと家まで導いた夜のこと。
それは、仲間に笑われても、それでも歌うことをやめなかった日のこと。
「どうして森でひとりなの?」
ある夜、子ぎつねがたずねました。
カッパは少し笑って答えます。
「ひとりのほうが、川の声がよく聞こえるからさ」
ほんとうは、少しだけ怖かったのです。
自分の歌が、誰の心にも届かないのではないかと
けれどその夜、森の奥から小さな拍手が聞こえました
ぱち、ぱち、ぱち。
振り向くと、鹿も、梟も、子ぎつねも、
そしていつのまにか仲間のカッパたちまで集まっていました。

「川の声、ちゃんと聞こえたよ」
そう言われたとき、カッパの皿にたまっていた水が、月を映してきらりと光りました。
それは涙だったのか、ただの川のしずくだったのか、誰にもわかりません。
それからというもの、森の弾き語りは続きます。
ひとりで始まり、いつのまにかみんなで聴く歌。
森は今も、
カッパのやわらかな旋律を、そっと抱きしめているのでした。