目覚めし冒険者の広場-ドラゴンクエストXプレイヤー専用サイト

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開発・運営だより -第14号- (2013/12/2)


いよいよ!
12月5日は、『ドラゴンクエストX バージョン2 眠れる勇者と導きの盟友』の発売日です!
新たな冒険を目前に控えて、アストルティアを旅する冒険者の皆さんも、準備は万端に整っているでしょうか。

こんにちは、ドラゴンクエストX ディレクターの藤澤です。

早いもので、ドラゴンクエストXの正式サービスが始まってから、16ヶ月が過ぎました。

サービス開始以来、とにかく「文章を書く」というのが相当自分の時間を取るようになっていて、毎度毎度その時間の捻出に苦しまされてきたのですが、その悩みもとりあえずこれで終わりかと思うと、ほっとするような、寂しいような、なかなか複雑な気分です。

とりあえず、自分への戒めも込めて、一番冒頭でこのことに触れておこうと思います。

「ドラゴンクエストX」も、ましてや「ドラゴンクエストシリーズ」も、今後もまだまだこれまで以上に盛り上がっていきますよ!(笑)

今回の「開発・運営だより」が自分からの最後のお便りとなりますが、感傷のあまり「おしまい感」を出し過ぎないように気をつけつつ、皆さんに話しておきたいことを書き綴っていきたいと思います。

 今から4~5年前のこと 

「ドラゴンクエストX」の企画の発足当時の話は、4月に実施した「春祭り」や、夏にやったCEDECの講演などで、何度か触れました。
なので、興味を持って見てくださっている方は、ご存知の方もいらっしゃると思います。

今回ここに書き残しておきたいと思った開発エピソードは、企画発足当時からすればかなり後、今からすれば結構前の、大体4~5年前の話です。

開発エピソードと言っても、ゲーム内容の話はあまり出てきません。
どちらかといえば、自分たちが開発スタッフが色んなことで悩んだり突き当たったりしたという、“人”が中心の話になります。

藤澤は長らくゲーム開発者をやっているので、一人の受け取り手の立場となったとき、「物が創られた過程のストーリー」にとても興味を抱きます。
なので、自分が好きな映画は、セルディスクの特典のメイキング映像を何度も観たりします。(「Mr.インクレディブル」は映画も素晴らしいですが、メイキングが最高に面白いです!)

なので、これから書いていく話は、自分と同じような考えを持つ人には興味がある話かもしれませんが、製作過程には関心がない人には、少し退屈な話かもしれません。
興味がない人には、この項はさっと読み飛ばしていただければと思います。


これまでに何度か、「ドラゴンクエストXは製作にとても時間が掛かった」という話をしたことがあります。
具体的な製作期間は言わないことになっていますが、過去にしてきた様々な話から、なんとなく想像がついている人もいるかもしれません。

その長い開発期間の途中に、じつは藤澤は1年半ほど「ドラゴンクエストX」の開発から離れていた時期があります。
大体、2007年の末頃からの1年半です。
この頃は、「ドラゴンクエストX」と平行して「ドラゴンクエストIX(9)」が開発中でした。
当時も「X」のディレクターだった藤澤は、「IX」の話し合いに参加はしていましたが、正式に「IX」のスタッフではありませんでした。

この頃「IX」は、「携帯ゲーム機で表現されるドラゴンクエスト本編とは何を重視したゲームであるべきか」という、さながら哲学のような問いへの答えが出せずに、開発は難航していました。
この時点が、今からだと、もう6年も前の話です。

間もなく、「IX」を完成させるために、藤澤は「X」を離れて「IX」に専念すべき、という状況に至りました。
少なくとも「IX」を完成させなくてはならないことは事実だったので、自分は一度「X」の開発を離れることを決めました。

その結果、「X」の開発が分岐点に立ちました。
自分が不在となる間、開発を一時中断するか、あるいは開発を続行するか、です。

自分は、「開発の続行」を選択しました。
正直なところ、この選択は、あまり悩みませんでした。
理由は、ふたつあります。

ひとつは単純に、一時中断のリスクがとても高いと判断したことです。
制作物量が大きいオンラインゲームにとって、それはプロジェクト存続に影響を与えかねないほど致命的な問題になりうると懸念しました。
また、この頃は、離脱は長くても1年弱程度と考えていました。

もうひとつは、「ドラゴンクエストX」の開発スタッフに、吉田直樹がいたことです。
今では「ファイナルファンタジーXIV:新生エオルゼア」のプロデューサー兼ディレクターの『吉P』としてすっかり有名ですが、当時は「ドラゴンクエストX」のチーフプランナーをしていました。
誰もが認める有能な開発者で、自分も全幅の信頼を置いていた人間だったため、彼が代理ディレクターを務めてくれるのであれば、問題なく開発を続行できると考えました。

どのプロジェクトもそうですが、開発過程には様々な苦労があるものです。
「IX」の開発でも本当に色んなことがあったのですが、それを書いていくと、今回話したいことからの脱線が甚だしいので、そこには触れません。
ただ、様々な紆余曲折の果てに「ドラゴンクエストIX」は完成の日を迎えました。
記憶にある方も多いかと思いますが、大幅な発売延期があり、予定を超える時間が掛かってしまいました。
「X」からの離脱期間も、1年弱の予定が、1年半を大きく超えていました。

「X」の開発チームは、それほど長期間離脱していた自分を気持ちよく迎え入れようとしてくれていましたが、この頃の自分の精神状態はグチャグチャでした。
「IX」の延期と「X」の長期離脱の責任から、このまま「X」には戻らずドラゴンクエストの開発を辞めたいと、堀井さんにも申し出ていました。
ですが、この時は多くの方から留保していただき、しばらくゆっくりと考えました。
そして、こんな風に考え直しました。

責任を取るなら、一度与えられた責任はちゃんと果たしてから辞めよう、と。

一度与えられた責任とは、つまり「ドラゴンクエストXをきちんと完成させる」ということです。
なので、この頃は「完成まで」と思っていましたが、後から「1stの運営終了まで」と、さらに考えを改めました。
サービス開始直後は、様々な面から厳しい時期になるだろうと容易に予測できたので、そういう状況に作った人間がいないのでは、それもまた無責任と考えたためです。
と、ある意味では「続行」を決めた瞬間ではありましたが、言い換えれば、自分が「X」を1stシリーズで辞めると決めたのも、この頃でした。
(ただ、辞めると決めた理由は、これだけではありません。生放送中にも話しましたが、ドラゴンクエストの開発現場は人が育っていく場であるべき、という考えが自分の中にはあって、いつまでも同じ人間がやっていてはいけないという気持ちがあったことも、理由としては大きかったです)

1年半ぶりに復帰した「X」の開発現場では、自分はまさに浦島太郎にでもなったような気分でした。
キャラやマップのグラフィックなど時間が掛かるパートがかなり実現できていたし、離脱した頃はただの仕様書でしかなかったゲームシステムも、いくつか実際に動く状態になっていました。
ただ、見ていけば見ていくほど、自分の感覚との「ズレ」が存在していることを認めないわけにはいきませんでした。
その「ズレ」の正体がなんだったのかは後述するとして、それからしばらくの間、自分はプロジェクトが進行していく様子を、特に口を出すでもなく静かに眺めていました。
それは様子を見ているなんて悠長なことを言えるような心境ではなく、正直に言えば、そこに生じてしまった違和感をどう対処してよいのかわからず、オロオロと一人で混乱していたのです。

そんな状態がしばらく続いていたある日の夜遅い時間、テクニカルディレクターの青山公士が、やや深刻な表情で自分に話しかけてきました。
いつも穏やかな青山が、感情を表に出して話しかけてくることは日頃ほとんどなかったので、とても印象的な出来事でした。

「あなたが方向性を示せないんだったら、このプロジェクトは絶対に失敗する」

これだとさすがにちょっと省略しすぎで、青山が怖い人に思われたら本人に申し訳ないですが(笑)、うんと要約するとこういう主旨のことを、それでもかなり率直な言葉で、青山は訴えてきました。

自分は性格がひねくれた人間なので、人の言葉が胸に響くみたいな経験があまりなかったのですが、この時の青山の訴えに、本当に頭を殴られたようなショックを受けました。
そして、ようやく気づきました。
ああ、自分は何をやってるんだろう、と。

翌日すぐに、プロデューサーの齊藤陽介を誘い、二人で蕎麦を食べました。
そして、ここまで出来ているドラゴンクエストXだけど、その結構な部分をやり直しても構わないかと尋ねました。
齊藤は深く考えるでもなく、すぐに了承してくれました。
彼の立場からすれば、本当は簡単に判断できることではなかったはずです。
齊藤の人物評なんてあまりしたくないですが、相手の真剣さが見えたときには、よほどのことでない限り受け入れてくれる、そういう人です。
なので、スタッフからこんなに信頼されているプロデューサーも、本当にいないと思います。(やや出たがりな面はありますが)

そして、この日からもう一度、「ドラゴンクエストX」を自分の思い描いた姿に作り直していく作業に着手しました。
あれから時間が過ぎた今では、こんな風に思います。

物を作るということは、判断の連続です。
正しい判断をするためには、適切な量の情報が必要になります。
そしてその適切な量とは、一緒に物を作っていくことで、毎日少しずつ積み重ねられていくものです。
あの頃、自分が製作途中の「ドラゴンクエストX」に「ズレ」を感じた最大の理由は、一緒に物を作る時間を共有できなかったために生じた、単なる「情報不足」だったと思います。
自分は作り直すことで情報不足を補う選択をしましたが、もしも今もう一度同じ岐路に立ったとしたら、別のやり方を選択できたのかもしれません。

そして、あの頃の自分が、違和感の対処をあれほど戸惑ったのは、大人の方であれば想像がつくと思いますが、スタッフに対する後ろめたさからくる「遠慮」があったためです。
ただ、この「遠慮」は、もっと正確な言葉で言えば「逃げ」でした。
自分にディレクターとしての覚悟が足らなかったが故の甘さが、大きな決断をすることを躊躇させていただけだったと、今はそう思います。

さて、自分が書き残しておきたかった開発エピソードは、ここまでです。

開発の内部事情をここまで書くべきか少し悩みましたが、「ドラゴンクエストX」の開発の途中にこういう出来事があったということを、プレイヤーの皆さんにも知っておいてほしかったので、ここに書くことにしました。
おそらく、この頃の一連の出来事が、「ドラゴンクエストX」の最大のターニングポイントだったように思います。
この頃の紆余曲折や、自分たちの迷いや葛藤がなかったら、「ドラゴンクエストX」は、きっと今とはまったく違うゲームになっていたはずです。

いくつか、補足があります。

自分が不在の間に、がんばって開発を続けてくれた開発スタッフみんなの粘りがなかったら、「ドラゴンクエストX」の完成は、きっとさらに数年遅れていたと思います。
彼らは、強い意志と素晴らしい感性で、この「アストルティア」を作り上げてくれました。
「ドラゴンクエストX」の開発スタッフのことを最高に誇りに思うと同時に、その一人ひとりを、自分は心から尊敬します。

そして、代理ディレクターを務めてくれた、吉田直樹について。
自分の違和感を消すために、彼がディレクターをしていた間にスタッフに対して下した判断を変更しなくてはならない場面が、何度もありました。
彼の内心を慮れば、間違いなく苦い体験だったろうと思います。
ただ、彼はそういう時、決まってスタッフに対してこう言いました。

「今は、藤澤さんの方を向いて仕事をするように」

彼のこうした計らいに対して、自分は一度として、面と向かって礼の気持ちを伝えたことはありませんでした。
ですが、こんなことができる人間を、自分は吉田の他に知りません。

その後、会社の上層部から吉田に対して新規プロジェクトの立ち上げ依頼があり、自分の復帰後業務が安定したタイミングで、吉田はそのプロジェクトの立ち上げに回ることになりました。
さらにその後にFF14のプロデューサー兼ディレクターになるとは、この頃はまだ思いもしませんでしたが、今でも自分が本当に判断に行きづまったときに一番最後に相談をする、最高に頼もしい仲間です。

そして、このすぐ後に、りっきー(齋藤力)には次のディレクターをやってほしいと伝えました。
たしか了承してくれたはずと記憶しているのですが、食事中に伝えたこともあって、本人はあんまり本気にしていなかったと言うことが、後でわかったりしたんですが(汗)。


こうして、当時の出来事をちゃんとまとめたのはこれが初めてですが、改めて並べてみると、もしかすると自分はあんまり役に立ってなかったんじゃないかと不安になるくらい(笑)、いつも周りにいる人に恵まれていました。
今更ながら、強くそう実感する次第です。

 いくつかこれから先の話 

これから先の話についても、少しだけ触れておこうと思います。

ちょっと前の話になりますが、ドラゴンクエストXの関係者全員に対して話す機会があり、自分からはこんな話をしました。

ドラゴンクエストXは、サービス開始から大体3年後に、ゲーム規模としては最大化を迎えると思う。
ただし、ただボーっと3年を過ごせば勝手に最大化するという話ではなくて、これまでと同じように、スタッフ全員が死に物ぐるいで、プレイヤーの皆さんを楽しませようと必死にあがき続ければ、きっとそういう未来が待っている、と。

これはもう、この言葉以上でも以下でもなく、掛け値なしに藤澤が今思っているドラゴンクエストXの未来予想です。

ドラゴンクエストXは、「復帰しやすい」ゲームであることを常に意識してデザインしてきました。
なので、【バージョン2】、【バージョン3】と新バージョンがリリースされて新冒険者が増えるだけでなく、休んでいた冒険者の方も戻ってきて、アストルティアの人口は少しずつ最大化に向かっていくと思っています。


ドラゴンクエストXの発売前後の頃、「この世界を10年以上続けたい」と言った自分たちの言葉は、きっと多くの人にとって、少し現実味のない言葉として響いたのではないかと思います。
でも、あれから16ヶ月が過ぎました。
きっと今なら、あの頃よりも多くの方がこう信じてくれるのではないでしょうか。

「この世界は、もしかしたら本当に10年。いや、もっと長い時間、続いていくのかもしれないな」と。

この夢を現実のものとするために、藤澤が抜けた後も、“スタッフ全員が死に物ぐるいで、プレイヤーの皆さんを楽しませようと必死にあがき続け”てくれるはずです。


また、藤澤個人の今後について気に掛けてくださる方もいらっしゃるので、こちらも少しだけ。
ですが、残念なことに、こちらはまださっぱり決まっていないのです。
「言えないってことでしょー?」と思われるかもしれませんが、いや、自分はなんでも正直に話してきたじゃないですか!(笑)
そうではなくて、本当にまだ何も決まっていないのです。

「次はドラゴンクエストXI(11)を?」と言われることもとても多いんですが、上のエピソードを読んでいただければお察しいただける通り、現状はその予定もありません。

夏のCEDECの講演で、ゲーム開発者の皆さんに「みんなで“新しいこと”をやろう!」と自分からエールを送りました。
その時のエールを、今は自分自身で受け止めています。
なので、ドラゴンクエストではない何か、“新しい”何かを、きっと創っていくことになると思います。
ドラゴンクエストで藤澤のことを知っていただいた皆さんに、また気づいてもらえる物を創れる自信は正直ないのですが、そういう日が迎えられることをこれから先の目標として、今後もがんばっていきたいと思います。


最後に、この手のものが続かない藤澤にしては奇跡的に“twitter”だけは細々と続いているので、今後もこれだけは続けていこうと思っています。
自分の活動についても、時折“twitter”で報告していきたいと思いますので、ご興味を持っていただける方は、ぜひ下記IDをフォローしていただければ幸いです。



「ラーメンうまい」的なことばかりでなく、たまにはまともなことも書きたいと思いますので(笑)。

 おわりに 

さて、なるべく「おしまい感」を出さないようにと気を使ったつもりですが、どうだったでしょう。
もう自分では判断が付かないですが、きっと出ちゃってましたよね。すいません。

辞めると決めたのは4年も前なので、本当に最後を迎えるとき、自分はどんな心境でいるんだろうなあと、何度か想像したことはあります。
もちろん、現実味のある想像なんて全然できなかったんですが、きっと寂しいと思うことはないんだろうと思っていました。

でも、今は寂しいです(深刻)。
15年間自分が生きる意味だったドラゴンクエストから離れることも、長年一緒に戦ってきた仲間と離れることも、師匠である堀井さんから離れることも、自分で決めたことだったので、覚悟はしていました。
ですが、プレイヤーの皆さんと離れることが寂しいというのは、まったく想像が及びませんでした。

1年以上前、自分の能力不足から、多くのプレイヤーの皆さんから激しく批判されていた時期があります。
精神的には、とても厳しい時期でした。
ただ、自分はどんな状況のときも絶対に逃げ出さずに、皆さんと向き合うようにしてきたつもりです。
むしろ、やや前のめりなくらいに皆さんと話すことで、少しずつ理解してくれる人は増えていきました。
そして、「開発・運営だより」や「ディレクターリアル夜話」で本音をどんどん話したり、「地味祭」やステージで皆さんと一緒に笑い合ったり、そういうことをやっているうちに、それは本当にドラゴンクエストの冒険と同じように、今は皆さんのことを、心から、仲間と感じています。

ドラゴンクエストのシナリオスタッフになれると決まって喜んだあの日から、自分は様々な夢を持つようになりました。
その夢は、15年間掛けてひとつずつ現実になり、最後にわずかに残った夢も、すべてアストルティアに置いてきました。
今は、なんの後悔もありません。


さて、オンラインゲームには、出逢いと別れが付き物です。
いくつもの別れを繰り返しながら、また旅は続いていきます。

自分は、ここでお別れです。
どんな風に締めくくっていいのかわからないので、最後に、自分が一番気に入っている「地味な修正」の話でもしましょうか。

それは、ベータテストのごく初期に実施した修正で、知っている人は本当に一握りの人だけです。
当時は、「よく使うセリフ」の一番上のデフォルト位置のセリフは、「こんにちは!」でした。
ですが、その位置のセリフを、その頃に遊んでくれている皆さんが頻繁に使っていた言葉に変えたのです。

今日は自分から、今まで支えてくださったすべての皆さんに、精一杯の気持ちを込めて、その言葉を贈りたいと思います。
自分の言い方が寒々しかったせいで茶化されたりもしましたが、これからもアストルティアが、この言葉の飛び交う世界であることを願って。




バックナンバー
開発・運営だより -第1号-「メンテナンスについて」
開発・運営だより -第2号-「サポートスタッフのお仕事」
開発・運営だより -第3号-「ドラゴンクエストXの中長期的な展望について」
開発・運営だより -第4号-「ジャンフェスの報告と2013年の展望」
開発・運営だより -第5号-「【バージョン1.3】速報と中長期的展望の更新」
開発・運営だより -第6号-「不正アクセス対策について」
開発・運営だより -第7号-「第2回アンケート集計結果」
開発・運営だより -第8号-「【バージョン1.4】の歩き方」
開発・運営だより -第9号-「ディレクターリアル夜話まとめプラス」
開発・運営だより -第10号-「【バージョン1.5】の「中期」以降の予定」
開発・運営だより -第11号-「モンスター大討伐!の舞台裏」
開発・運営だより -第12号-「【バージョン1.5】「中期」の話と「後期」の話」
開発・運営だより -第13号-「ディレクターリアル夜話2まとめプラス」

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